空手

空手の学び

空手

空手を習って12年になります。

ワーママ生活は忙しく、毎日時間がない~と追い詰められながらも、週1回の稽古に行き、ボロ雑巾のようになりながらも、続けている大切な大切な時間です。

いい年をした、筋力も根性もないおばさんがなぜ空手にドはまりし、12年も続けているのか。。。

それは、空手がとんでもなく魅力的だからです。そんな空手の魅力をお伝えしたいと思います。

沖縄空手剛柔流

私がやっている空手は、沖縄空手の剛柔流という流派の空手です。

剛柔流空手の開祖である宮城長順先生と、その高弟である比嘉世幸先生の両師に師事した渡口政吉先生が開設された道場で稽古しています。

詳しい経緯は分からないのですが、渡口先生が中野で道場をされていた時、八王子にご自身の稽古場として開いた道場が今に続いています。

空手をご存じない方のために、どんなことをやっているかをご紹介すると、

  • 準備運動、補助運動
  • 型(普及型、古流型)
  • 基礎組手、応用組手、組手型分解、解裁

こんな感じです。アイキャッチの画像は、古流型のセイエンチンの一部を切り取ったものですね。四股立ち地獄に陥りますが、一番好きな型です。

空手というと型が有名ですが、単に型の動きが出来ればよいのではなく、組手を通じ、効果的な動きになるように練り上げ、解裁を通じて実戦での応用を体に叩き込みます。

私はまったくダメダメですが、師範、師範代の動きはまるで獣のようなキレと優美さが同居しており、ほぅ!っとため息が漏れるような素晴らしさです。

いつか動画を取らせてもらって、このブログでもお伝えしたいと思います。

空手をはじめたきっかけ

もともと、空手を始めたきっかけは、子供たちに空手を習わせた事です。

自宅近くで、とにかく体力のあり余った双子が存分にエネルギーを消費できる事はないか?と習い事を探していました。双子ママ友が探し当ててくれ、民家の駐車場を抜け、植物が生い茂る中にお稲荷さんの祠が鎮座するお庭の先にある、抜群の怪しさ漂う道場にビビりながら見学に行きました。

外観の怪しさと裏腹に、師範がとてつもなく素晴らしい方で、子供たちは嘘のようにいい子になって稽古に励み、初回から空手にドはまりしていました。当初は、長男・次男が習いはじめ、三男は3歳から始め、3人とも小学校卒業まで約8年間空手を続けました。

子供たちの稽古を見ているうちに、私もやりたくなってしまい、師範に頼み込んで、12年前から私も週1回、大人の方たちの稽古に混ぜて頂くことになり、今に至ります。

空手をやる意味

稽古は、型だけではありません。筋骨隆々の成人男性との組手もあります(というか、成人男性しかいないし…)。約束組手という、手順が決まっている組手でも、全力で突いたり蹴ったりするので、毎度、ぶっ飛ばされ、地べたに這いつくばり、ボコボコにされて手足に青あざが出来る始末です。

正直、痛いのは嫌だし、空手をやって強くなりたいとかも思っていませんが、この環境が私には必要だと思っています。この環境というのは、自分が一番出来が悪く、能力が低い状況にあって、努力しても追いつくことが困難な状況で、下手をこくと肉体的な痛みというダイレクトな結果が実感できる弱肉強食な環境の事です。

私は、体が固いし、小デブだし、運動が苦手で体力ないし、筋力もない。今年50歳になるBBAだし、ワーママ生活で疲れ切っているし、仕事が忙しくて時間もないし、と自分が弱い理由はたくさん上げられますが、道場で師範と相対し、突きをぶち込まれると、よくわかります。どんな状況であろうと、攻撃が来るときには来てしまい、その時に弱ければやられるだけ。受けきれなければ、死ぬほど痛いだけなのです。

日常生活では、つい言い訳をしがちになりますが、それが通用しない世界に身を置くことの貴重さを感じます。

また、自分が最弱の状況というのも良いです。勘違いを予防してくれるからです。私は、仕事柄、いわゆる「先生」みたいな立ち位置に立つことがあり、「私は出来る人」みたいな勘違いが起こることに恐怖感をもっています。また、ご支援する企業様は、中小企業・小規模事業者様です。彼らは、市場で不利な立場で戦うことが多く、できない事もある中で奮闘されています。その際、できない事を理解せず、寄り添わず、正論を振りかざすことにも恐怖を感じます。

どうやったら自分が勘違いせずにいられるか?を体感できる場所という意味でも空手道場で過ごす時間は貴重です。

さらに、稽古においては、体力的に余裕ゼロなので、怪我なく道場を出ることに必死です。そうすると、仕事のことも、家庭の事も自然と頭から消えていき、マインドフルネス状態になります。この世の雑事から解き放たれ、自分の呼吸と体の動きだけに集中し、はたから見ると本当にバカみたいなのですが、至高の時間ともいえる感覚になります。空手では、これを洗心と言います。素敵な言葉です。

自分がダメだと思える言い訳できない環境でボコボコにされる…と書くと、急に自分がドMなんじゃないか…と不安になりますが、多分、私はドSの方。ドSが過剰にならない様、敢えてドMの環境に身を置くとバランスが良くなり、その結果、抜け出せない空手沼にはまっているんだなと思っています。

突き蹴りだけじゃない空手

私の通う道場は、人数は多くありませんが、師範がとにかく技術的にも人格的にも素晴らしい尊敬できる方です。稽古にいらっしゃる方々も本当に素晴らしい方ばかりです。空手マニアの巣窟といった感じで、みんな、ひたすらあーでもない、こーでもないと地道にマニアックに稽古しています。

もちろん、皆さんとんでもなく鋭い突き、蹴り、投げをされるのですが、所作の美しさ、沖縄では、それをムチミやマルミと呼ぶようですが、滑らかな美しい動きもとても素晴らしいのです。

空手のイメージは、どちらかというとガッチガチのパワーで突いたり、蹴ったりというものですが、剛柔流では、それと踊りのような滑らかな柔の動きが同居しており、稽古においても、師範が剛と柔の動きを呼吸とともにとても丁寧に指導されます。

最近、脱力して動くことを指導頂き、体の力を意識的に抜いて、とはいえ、ガマクと言われる丹田の力を抜くことなく、足から伝わる力を腕や足に乗せるという動作を稽古しているのですが、これが難しい。同じことを何度も何度も繰り返し、時々、「あ!これ、先生が〇年前に言っていた事かも!!」というような、超遅ればせの気づきをたまに得ながら、少しずつ出来るように頑張っています。

そういう意味でも、本当に奥深い…。知れば知るほど、とんでもない技術だなと感じ、やめられない空手沼にズブズブと沈んでいます。

手が使えなきゃ、足使え、足使えなきゃ頭使え

そういえば、義父が脳梗塞で倒れ、リハビリのサポートをしていた時、病院のリハビリ室で、義父と同じくリハビリをしているおじいさんがいました。おそらく右半身の麻痺があったのだと思いますが、その方は、左手で三戦の動きをしていました。

衝撃的なカッコよさでした!

もちろん、ヨロヨロしていましたし、1人で立つこともままならないご様子でしたが、それでも腕の位置、角度、チンクチの絞り具合が練られており、一生懸命に空手をされてきた方だとわかりました。

師範はいつも、右手がだめなら左手を使え、手がだめなら足を使え、足もだめなら頭を使え、使えるものを全部使えば、道が見えてくと教えてくれます。

それを体現している人を見た時、ものすごい衝撃を受けました。

また、昔、次男がまだ小学校低学年の時、体育で腕をけがしたのに空手に行こうとするので、「あんた、ケガしているのに空手に行くの?」と聞いたとき、次男が「腕が使えなくても、足の稽古は出来るから行ってくる。」とさらっと言っていました。

ちょっと感動して、「そうか。そうだな。頑張れよ。」と言って送り出しました。

言い訳ばかりの自分には、その言い訳のない姿の美しさ、潔さにあこがれるところがあります。

まだ、10歳にもならない小学生がそう思って行動するんだな、脳梗塞になって体が半分動かなくても三戦の稽古する老人がいるんだな、そういうものを見て、わが身を振り返ると、言い訳ばかりをしちゃおれん!という気持ちになります。

道場訓に『空手道の信条を生活に生かすべし』という一条がありますが、それを体現できる人になりたいと思いながら、これからも空手を続けていきたいと思っています。

空手の奥深さ、学びは、とても素晴らしく、これからのブログで共有させて頂きたいと思います。

次回は、今、毎日格闘中の「脱力」について書きたいと思います。

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